「職親」の道 父から引き継いだ - 広島県保護司会連合会(広島市)

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「職親」の道 父から引き継いだ

株式会社 河野ボデー製作所 

河野 征夫 代表取締役会長

居場所をつくる

2022.11.27

1956年、河野征夫さんの父斐夫(あやお)さんが広島市南区皆実町で創業した。マツダ・オート三輪の荷台改造で会社の土台を築き、現在は消防車や検診車など特殊車両改造を幅広く手がけている。広島市西区に本社・西部工場、安芸区に東部工場、茨城県に関東工場がある。

「手がキレる」子が辞めないように

職人として「腕が立つ」ことを私は「手がキレる」と言うんですが、昔は、やんちゃな子ほど手がキレた。親父はね、そういう子が辞めないようにと当時の会社の屋根裏を寮にし、朝昼晩の3食を提供して大事に育てていました。それが今で言う「補導委託受託者」の始まりです。
「職場での親」だから「職親」と呼ばれた父は100人ほど世話をしたし、それを引き継いだ私も100人以上の面倒を見てきました。寮生の賄いや掃除に奮闘した妻の洋江には感謝しかないですね。

逃げ出したら とことん追いかける

この子たちを寮に住まわせるのは、自立するにはむしろ親から離した方がいいと考えるからです。多くて一度に5人ほどいたときもありました。夜中に大騒ぎしたり、抜け出したりする。こっちは注意したり、夜の町に探しに行ったりもしょっちゅう。その子の家庭事情が分かってくるほど、放っておけなくなります。ただ人手が欲しいから雇っているわけではないし、そもそも採用するかどうかの基準はありません。とはいえ職人に向くかどうかはあります。「根気」です。

企業の枠を超えて「適材適所」を

妻も体が続かなくなり、しばらく前から寮で預かるのはやめました。やんちゃだけど「竹を割った」性格の子も少なくなってきた気がします。以前から考えていたことですが、子どもたちも働いてみて初めて自分がどんな業種に向くかに気づくことがあれば、自分の過去が知られていない職場に移って新たな挑戦をしたい子もいる。そういうときに企業や業種の枠を超え、適材適所で人材配置をする仕組みができないものか。企業間の「横のつながり」も必要です。

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